※旧ブログからの転載です。

以下はよくありがちな光景ではないだろうか。

親 「宿題ちゃんとやったの?まだ終わってないじゃないの!」

子 「そこはわからなかったところ(だから仕方ないでしょ)」

親 「そっかー(仕方ないかな)。じゃあ、そのわからなかったところはちゃんと先生に聞いてくるのよ」

子 「わかったー」

似たような場面、きっと多くの家庭で繰り返されていることと思う。さて、そう答えた子供は、学校や塾でできなかった宿題をちゃんと質問しているだろうか? そもそも、それらのできなかった問題は「考えに考えた結果、本当にわからなかった問題」なのだろうか?

この2つの質問に、本心から「うちの子供はちゃんと質問して、すべての疑問を解決して塾から帰ってくる」「うちの子供がわからなかったというのだから、ちゃんと考えに考えた結果、わからなかったんだ」と思っている親御さんには、おめでたい、としか言いようがない。

子供がいう「わからなかった」の多くは「やってない」の言い換え。

そう答えれば親のうるさい小言から解放されることを、子供たちはよく知っている。一種の免罪符だ。

親の方も、声をかけることで「私だって何もしていないわけじゃない」という足跡を残しておくことができる。一方で「ちゃんと声かけもしているし、それに赤ちゃんじゃないんだからいちいちカバンの中からノートを取り出してチェックなんてできない。本人が、やったけどわからないというならそれを信じるしかないし、それ以上、何をすればいいのか」という声も聞こえてくる。

しかし、お互いに既成事実を残すために会話をしているだけなので、実際の中身は何もないに等しい。

本気で問題に取り組んだ子供は「わからなかった」ではなく、より具体的に「(こことあそこが)解けなかった」と答える。

そして(ここが重要!)、解けなかったからといって『すぐには質問しない』。

なおも自分で考え続ける。だから、ぎりぎりまで聞きに来ない。

実は、深く、よく、考えている子ほど質問には来ないのだ。

できる子はよく質問するんだろうなーと思っている親御さん、それは逆。むしろ、なんでもかんでも質問に来る子は成績も学力も伸び悩むことが多い。

余談になるが、よく考えて質問に来た子と単に答えを聞きに来た子の見分け方がある。質問に対するこちらの解説の「途中で、あっそうか」と切り上げてしまう子はじっくりと考えてきた証拠。こちらの解説の途中で会話を勝手に終わらせてしまうなんて少し失礼だな・・・なんて我々は微塵も思わない。むしろ、それで良し、さっさと自分の机に戻って続きをやるべし、と心の中で喝采する。

良問であれば1問だけでもいいのだ。それをじっくり考えればものすごい価値がある。確実にできるようになる。映画や本、絵画と同じだ。くだらない作品を何本も観るよりも、自分にとっての名作にじっくり触れたほうがいい。

大量の宿題が出れば、そんな熟考する時間さえも奪ってしまう。なぜなら、とにかく「終わらせなければいけないから」だ。

終わらせなければ、塾や学校、そして親から「ちゃんとやれ」のダブル攻撃が待っているので、場合によっては姑息な手(つまり、答えや誰かの答案を写す)に走ることになる。これもまたよくある風景だ。が、子供を怒る前に、そういう状況に囲い込んだのは誰なのかを自問自答してほしい。

考えることよりも終わらせることを優先する。こんな状況を何日も何日も続けて、本当に学力が上がるのだろうか?

すべての宿題は必要ない、といっているわけではない。適量かつ適した内容、そして適した時期の宿題であればよい。

なお、当塾の場合、よほどのことがない限り宿題は出さない。

――――今回はここまでにします。続く。