冒頭から恐縮だが、私は並外れた巨頭である。

といっても、しがない個人塾を営む身であるからどこかの組織の黒幕であるわけでもなく、男性であるから巨乳でもない。では男性ならば巨〇なのかというと無論そんなはずもなく、それについては多少のコンプレックスもあるがここでは多くを語らない。

であるから、勤務時代のあだ名である「スズドン」の「ドン」は別に「首領」という意味は微塵もなく、むしろ「鈍」に近いのではないかと今では思っている。

小さい頃は「オレたちひょうきん族」全盛の時であったから、雄大(たけひろ)のタケをとってタケちゃんマンである。自然な流れだ。おそらく全国の同時期、「たけ」がつく子は同じように呼ばれていたに違いない。無論、ナハッナハッナハーは数限りなくやった。

高校時代は、その老け顔から「オジサン」と呼ばれ続けた。なるほど、高校時代の卒業アルバムを見ると、今とたいして変わらない。

また、サッカー部の先輩からは「ドカ」と呼ばれた。少年野球時代はキャッチャーであったので「ドカベン」の可能性もあるが、サッカー部なので関係ない。なぜに野球を辞めてサッカー部に入ったのかはこのブログの後半に譲る。

(なお、今ブログに貼り付けてある写真は横浜市立十日市場中学の卒業アルバムからサッカー部の集合写真であり、最後列の一番右にいるのが私である。その左が小倉。)

あるいはバイクを乗り回していたので、イタリアの高級バイクメーカーである「ドゥカティ」にちなんでなのかというとそれも異なる。バイクを乗り回したといっても原付しか乗れなかった。愛車はHONDAが誇るDioである。今はなき緑山スタジオの山道を原付で攻めた(笑)。よってドゥカティでない。当たり前だ。夏休みのある時期、部活をサボって中学時代の悪友・小倉と下水管工事のバイトをした。ドカタ工事である。それがバレて「ドカ」となっただけである。

なお、その1年後、その先輩達からの投票で部長となった。不思議である。

 

さて、冒頭の話に戻る。

実は顔がデカいのももちろんそうではあるが、正確にいえば頭がデカい。市販の帽子はまず入らない。よって、帽子は嫌いだ。

兄の後を追うように始めた剣道もやり始めは順調だった。竹刀の振りの鋭さ、足の運びなどまさに見事であり、常に「天才剣士現る!」と自分の心の中で叫んでいた。「六三四の剣」が愛読書であった。

が、挫折した。防具をつけたとたんに、それまでの輝きを失った。

面がきつすぎたのである。

また、前半にあるように十日市場イーグルスで5番キャッチャー、親父もそのチームの鬼コーチ、読書の友はドカベンで、甲子園を夢見る野球少年だったにも関わらず、なんの未練もなく中学生からはサッカー部に入ったのは丸坊主が嫌だとかサッカー部のほうがモテるとかではなく、ただ単にヘルメットをかぶるのが嫌だったからだ。

というか、フィットするヘルメットそのものがない。これは屈辱であった。

今も親が大切に持っている少年野球時代の写真をみると、バッターボックスに入った私の頭は、正月のお供え餅のようにピョコンと頭の上にヘルメットが乗っている。実に耐えがたい思い出の一幕だ。

さて、帽子やヘルメットを必要としないサッカー部に入ったにも関わらず、同級生の佐藤がつけたあだ名は「ズオーキー」だった。

一見するとこれは、当時爆発的な人気を誇っていた「さらば宇宙戦艦ヤマト」に登場する最大最強の敵、ガトランティス帝国の「ズオーダー大帝」をもじったように思える。昨今リメイクしているヤマトシリーズ「2202~愛の戦士たち~」ではさらにスケールアップした、あの「ズオーダー大帝」である。これは強い。

確かにサッカー部では部長であり、生徒会役員でもあり、成績も優秀、中学ではそれなりのハクがあった。

がしかし、それもまた大いなる勘違いであり、ズオーキーを漢字で書くと

「頭(ズ)大きい」

 

であった。

なにもかも、みな懐かしい。